FC2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

◆ぽちっとお願いします!
にほんブログ村 健康ブログ 健康美へ

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

【防災】まんぷく震災体験記 2

まんぷくの震災体験続き

こんにちは〜!今日もこのブログに来ていただき、
ありがとうございます!!

では、続きをどうぞ。

道路沿いの建物も崩壊して今にも倒れてきそうな側を
ヒッチハイクしながら、ずっと歩いていると
どこかの親切なおじさんが、
「どこまで行くの?途中までなら乗せてあげるよ」と
言って車に乗せてくれました。

親切なその方はおにぎりをたくさん作って親戚の所へ向かう途中だと
言ってました。その人におにぎりを一ついただいて食べました。
昨日の地震発生から何も食べておらず、
塩おにぎりに海苔が一枚巻かれていただけのシンプルな
まあるいおにぎりがとっても美味しかったのを今でも忘れません!

その人は激しい揺れでもなんとか自分の家は無事だったそうですが、
隣の家が古い家屋だっため、1階が崩れ2階の下敷きになったため、
慌てて隣の人を助けに行ったそうです。

倒壊家屋


瓦礫を退けて、大声で叫ぶと小さく返事が返ってきたので、
周りにいた人に声をかけてみんなで救い出したそうです。
素晴らしい!救出が早かったから大丈夫だろうと話していました。
「良かったですね!私の家も築40年だから危ないんです。」
とつい涙ぐんでいうと、その人は「大丈夫!気をしっかり持って!」
と励ましてくれました。

避難

芦屋あたりでそのおじさんと別れ、また一人でヒッチハイクしながら歩きました。
車はなかなか止まってくれません。
皆、自分の家族が心配だから、人のことまで構ってられませんよね。

こんなことなら自転車でくれば良かった!
これは、震災後もずっと思ってきたことです。
甘ちゃんの私はなぜか、自転車で実家に行こうという考えはなく、
タクで行けるだろう。と甘く考えてたのでした。

自転車

震災時の自転車の活躍と言ったら!と思うくらい、
自転車があればな〜と何度も思ったのでした。
もちろん、震災で自転車も被災して壊れてしまっては意味ないですが。

2時間ほど歩いたのち、また親切な方が車に乗せてくれました。
その方も三宮までならいいよと言ってくれました。
なぜか、その時のことはあまり覚えてないのですが、
その方は私に気を遣って黙って運転していました。

三宮まで来て親切なおじさんと別れて車道脇の歩道を歩きました。
大きなビルが斜めに傾き今にも崩れてきそうでした。
本当にどこもかしこも倒壊!倒壊!で、
瓦礫を避けながら歩きました。

途中で、女性が瓦礫の側で泣いていました。
知り合いが来て、話してるのを聞いていると、
「朝は声がしていたけど、昼からは声がしなくなった。」
と、言って泣き崩れました。
早く助けに来てと何度も警察に行ったが、
誰も来てくれなかったそうです。
それを見て、思わず目頭が熱くなり泣きました。

長田まで来て、いよいよ心が破裂しそうになりました。
もはやどこも焼け野原で焼土と化し、
歩くと熱くて下からプチプチ音がして
また燃え出す有り様。
そこらいらじゅう、焦げ臭く、
小さな爆発音があちらこちらで「ボン!」と鳴り、
絶え間なく聞こえてくるのです。
危ない道なき道を歩いて、ようやく兄の住む住宅に着きました。

兄の住むマンションの1階にたどり着くと、
瓦礫の片付けをしていた兄が「お前、こんなとこで何しとん?」
と声をかけてきて無事が確認できました。
良かった!と思わず笑みがこぼれました。

「お母さんは?」というと「無事やで」と知らされ、
喜んですぐに実家へ行きました。
実家ではなんと、築40年も経つボロ家が
傾いてはいるけどしっかり建っていました。
屋根瓦も全て落ち、家の中のタンスも全部倒れたり
壊れたりしましたが、無事、2階が1階になるということは
ありませんでした。潰れてなかったのです!

お母さんは震災当日、2階のベッドで寝ていました。
そして、揺れがおさまってから階下に降りて行きましたが、
全ての家具が倒れ、食器は割れてそこから先へは行けませんでした。
すぐ下にあったトイレに入ってそのまま助けを待ったそうです。

その頃は祖母もまだ生きていて、1階のベッドに寝ていましたが、
家具の位置とは反対側にいたので、無事でした。しかし、
祖母のベッドの中に、頭のすぐ横にあった扇風機(大きめのやつ)が落ちてたそうです。

なんで扇風機が?と不思議ですが、よく頭に落ちなかったものです。
ラッキーでした。祖母はその頃にはもうボケていて、
お母さんが「お祖母さん、大きな地震があったんやで。」
と言うと、「そうか〜。わからんかったわ〜。」と言ったので、
皆で笑いました。

父はその頃、スーパーなどに卸す魚を捌いて加工する会社に勤めており、
その時間は会社に居て仕事中でした。
幸い父も無事で、家に戻ってきました。
トイレでうずくまっていた母と二人で近所がどうなってるのか
確かめに歩いたそうですが、
家の中で亡くなってる人もいたそうです。

実家の付近は火災を免れましたが、激しい揺れで古い住宅や
アパートなど倒壊して家屋の下敷きになって亡くなった方が沢山います。

小さい頃からのご近所さんが夫婦で家屋の下敷きになって亡くなられました。
実家の隣のアパートに住んで居たその息子さんも、
アパートが倒壊して家具の下敷きになり、
消防隊の人に救助されて病院に運ばれていきました。
息子さんが両親が亡くなったことを知った時のことを思うと、
気の毒でなりません。
隣のアパートに住んで居た方たちは皆無事でしたが、
倒壊していたので、皆引っ越して行きました。

話が少し外れてしまいましたが、私が実家に戻ってからは、
当然、大阪の家には戻れません。交通手段がなかったので。
で、しばらく会社は休ませてもらいました。

私の両親も初めは避難所に行きましたが、
狭い小さなところに大勢が来ていたので、
家の2階は傾いてるけどなんとかなるだろうと、
家に戻ってきたそうです。

幸い冬だったから冷蔵庫のものはすぐには腐りませんでした。
さらに、冷凍の魚や肉など保存していたものがあり、
カセットコンロとボンベも常備があったので、
即、鍋をして近所の人や心配で駆けつけた親戚とで
美味しくいただきました。

3日、4日も経つとようやく救援物資が届くようになり、
トラックやヘリコプターなどでばらまいていきました。
しかし、家にいると救援物資が届けられません。
どうしても避難所の方が優先になってしまうからです。

当時、毎日救援物資がどこに届くとか情報がでていたので、
避難所の人、家にいる人で、町内会が仕切ってお弁当や、
消耗品などの支援物資が来たら知らせてくれたのです。
なので必要なものがあれば配られる地点へもらいに行ってました。

炊き出し

また、当時、実家には自転車がなかったので、どこへ行くのも歩きで、
自転車が欲しい〜と心底思っていました。
小回りが利くし、救援物などの荷物も詰めるし、
ぜひ、1台は確保ですよ。

救助物資は大体、広い通りの道路上にトラックが来て、
荷台の上から配ってました。
はじめはみんなきちんと整列していましたが、
段々と我先にの激しい奪い合いになりました。
その奪い合いをしてるのは、ほぼ外国から来て
日本に住んでいる人たちでした。

当時、ポケットベルが終わる前の時代、
携帯電話もそんなに普及してなかったように思いますが、
その外国の人たちは携帯電話で連絡を取り合い、
私にはわからない言葉で早口でまくし立てるように電話していました。

何処何処で何が配られていると瞬時に情報を流して、
皆でわっと取りに来てしまうため、
被災している日本人はもらえなかったりしていました。

そんな人たちに何度も遭遇しました。
あ、でも私はそんなことに負けずに、隣の人の分まで任せとき!
ばかりに支援物資をもらいに日々戦っていましたが。。。(笑)

あと、泥棒も沢山いました。被災して避難所に行ってると、
付近に誰も居なくなり、泥棒に好都合な状態になったのです。
何軒かやられて、それからは皆家が壊れたりで戸締りはできないから、
交代で見回るようにしていました。
本当に、こんな非常時に酷い奴がいるんです。

親子避難

けれど、悪い人ばかりではありません。
震災時には本当に多くの方がボランティアや、
救援物資を届けてくれました。
実家の食器棚が転倒してしまい、ほとんどの食器が
割れてしまったので、友達が使わなくなった食器を
沢山送ってくれたり、会社の社長も見舞金をくれたりと、
本当にお世話になりました。
感謝、感謝、感謝です!

さて、皆さま、我が家は築40年の木造の2階建て住宅。
壁も土壁でペラペラの薄い壁。
なぜ、このボロい我が家が潰れてなかったのか?
それは震災前の年、1994年に1階をリフォームしたからでした。
当時、1階部は泥土の上に建てていたため、
大工さんが耐震用に太いボルトを要所に埋め込んでくれていたそうです。

そのおかげか1階部はお風呂に少し亀裂が入ったり、
外壁が剥がれ落ちたりはしていましたが、
大丈夫でした。2階部は壁だけを塗り直しただけ
だったのでかなり傾き、
押入れと畳の間が10センチも空いたりして
押入れから青空が見えるような有り様で、
半壊の認定を受けました。

その後、屋根とか外壁はすべて修復しましたが、
2階の傾きはどうしようもありませんでした。
天井のところの漆喰の壁もべろ~んと至る所、
めくれていました。
大工さんになんとか修理の依頼もしていましたが、
大工さんも忙しいのかなかなか来てくれず。
というより、入り組んだ所に建っているため、
車が入らず、引き上げることができないために
ほったらかしになってたのだと思います。
2階が傾いたまま何年か経ちました。

机

すると、面白いことにその後の余震や地震がある度に、
少しづつ、少しづつ家の傾きが直っていったのです!
20年経って、10センチの開き(大穴)があった敷居も
3センチまでになっていました。
傾きもわからないくらいになっていました。
木造住宅ってしなっても戻るから凄いですね。

けれど、震災時に水道管が壊れていたせいか、
水漏れがありました。
そのせいで台所の流し台の下に大きな穴が空いてしまい、
何年か前から下水の悪臭がするようになっていました。
穴はDIYで私が補修はしたのですが、
匂いは滲み出てくるのです。

また、毎冬隙間風がひどく、家の中でも外にいるみたいなほど、
冷える家でした。2階にいてもわからないような隙間風が
階段を降りて1階へどーんと、まるでポルターガイストのように
大きくなった風が押し寄せて来るのです。
ホントに不思議でした。

でも、今年、年明けとともにまたリフォームした我が家。
2階の風穴も全て塞ぎ断熱材を壁にめぐらせ、
隙間風なしの暖かい家になりました。

今は大阪から私も引越してきて母と暮らしています。
皆さま、やはり、家のリフォームって大事ですよ!
古い日本家屋は特に危険です!
本当に耐震リフォームをお勧めします。

いかがでしたか?
まんぷくの震災体験記。
まだまだいろいろ話はつきませんが、
備えの参考になればと思います。

とりとめなく長い話ですみません。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

ここで私が体験して思った災害時にあれば、
助かるアイテムの紹介をしたいと思います。


1、マスク、耳栓、持病の薬、テッシュ、歯磨きなど衛生用品、ポリ袋など。

自分が直ぐに必要になる持病の薬や、生活消耗品、
避難所などで安眠できる耳栓や、
地震では瓦礫の粉塵が凄いのでマスクも必需品になります。
自分にとって必要な順位を決めて、揃えておきましょう!

2、カセットコンロ

災害時にはライフラインが使えません。
復旧するまで災害の規模や地域によって時間がかかります。
卓上コンロとガスボンベもセットで用意していると、
寒い時などはお茶が湧かせて助かります。
災害時は簡単な調理ができると、
それだけでも幸せな気分になれるんです。
おにぎり一つですごく喜んでましたから。

3、冷蔵庫の中にも備え

冷蔵庫にはいつも備蓄をして、すぐに食べられるものと
少し日持ちするものも入れておきましょう。
避難生活に備える、ということを考えたとき、
まずはどこのご家庭にもある「冷蔵庫の中身」をうまく活用することが第一で、
それほど大量の水や食料はいらないのでは、と私は思います。
都市部であれば3日もすれば救援物資(食料)が届けられるので。

うちの実家の場合は、ライフラインは震災直後は全て無事でした。
でも、その後ガス、電気は二次災害防止のため
ストップされたので、お風呂も入れませんでした。
停電している状態であれば、もちろん冷凍食品や生鮮食品などは
初日か2日目に消費しなければいけませんが、
冷凍庫に保冷剤などを入れて凍らせておけば、
ある程度冷蔵庫の温度を保つことが可能になります。
最近は百均でとても良い保冷剤が売られてます。

冷蔵庫の中身が空になったら、その段階で初めて、
備蓄している缶詰やレトルト食品などを消費し始める、
という考え方をすれば、ずいぶんと揃える品数も楽に
なるのではないでしょうか。

4、ママチャリ

30km~50kmくらいの距離なら、
交通がマヒしていても自転車があれば十分!
大阪から実家へ向かうとき、なぜ自転車で行かなかったのか
悔やまれました!
ぜひ、荷物が載せられるママチャリを1台持っていましょう!
自転車の空気入れと修理道具もあればベストです!
救援物資もチャリがあれば楽々もらいに行けますよ。
知り合いの安否確認もしに行けるし。
もちろん、バイクがあればその方がいいでしょう!


最後にひとつ、ぜひのぞいてみて欲しいサイトを見つけました。

■未来防災課 http://miraibo.net
バナー 125×125
“防災をテーマに様々な情報を発信するWebメディアです。
みなさんの日常の中で、ちょっとだけ防災を
思い出していただけるようなキッカケ作りが目的のサイトです。”

〈HPより引用〉

未来防災課では、どうなる7日間乾パン生活などユニークな内容も!
真面目に為になることもいっぱいです。
ぜひ、参考になさってください。
◆ぽちっとお願いします!
にほんブログ村 健康ブログ 健康美へ


2018.8.22 追記
未来防災課さまより、バナーをいただきましたので貼りました。
実は!わざわざ作ってもらっちゃったんですよ〜♪
ミライ坊ちゃん、ちょーカワ♡ うん、ナメてた!反省♡
未来防災課さま、ありがとうございました〜!
by.ごちそうさん
関連記事

| 防災 | 08:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。