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【防災】自助、共助、公助。 これからは自助の時代です。

自助、共助、公助。
これからは「自助」の時代です。


震災

久しぶりに防災の記事の依頼をいただきました。
こんにちは。まんぷくです。
皆さま、「自助、共助、公助」って聞いたことありますか?

防災対策で大切なことは、自分の身の安全を守るために一人一人が取り組む「自助防災」です。

1
「自助」とは、自分で自分の身を守ること。

地震、津波、火事、洪水、自然災害は想像をはるかに超え、
とてつもない力で私たちを襲います。
どんなことが起きるかわからない時代だから、
落ち着いて、自分の命は自分で守る心構えが大事です。

地震や津波などに遭遇した時に身の安全の守り方を知っておくこと。
身の安全を確保して生き延びていくために、
住まいの中の安全対策や、水や食料などの備えを考えておくことも必須です。

防災2

2
「共助」とは、地域や隣近所で助け合うことで、これにより多くの命が救われます。

助け合いの精神は大切です!

公助ではカバーしきれない細かい範囲を、
「共助」では助けることができます。
最近は近所付き合いなども疎遠になりつつあると言われており、
「無縁社会」や「孤立死」など定期的にニュースでも
報じられている通り、個人と地域の結びつきが
問われる時が来ています。
みそ、しょうゆの貸し借りが日々あった古き良き時代。
そんな平和な時代にはもう戻れません!

3
「公助」とは、公的機関が個人や地域では解決できない災害の問題を解決すること。

公の機関、つまり国や政府の助け、
自衛隊や消防隊などの助けをあてにすること。

私たちは日常生活で行政に依存する部分があるため、
災害時も市民は公助を期待します。

しかし、ある調査では災害時には自助・共助・公助の
割合が7:2:1になると報告されています。
災害時に公助は限定的にしか機能しないうえ、
災害が深刻であればあるほど公助の機能は低下すると。

消防



焼け野原と化した長田区、倒壊した家屋の住人たち。
阪神淡路大震災で多くの人が思いました。
国や政府に頼っても仕方ない!と。
火災の発生により、私の親しい友人の家も焼けてしまいました。
あの日、遠くに見えていた火の手がこんなところまで来るとは!
なぜ消し止められなかったのか。
呆然と自分の家が焼けるのを順番待ちで見ていたといいます。

火事


あの日、未曽有の災害となりましたが、政府は規模の把握ができず、兵庫県知事の自衛隊出動要請が4時間も遅れたのです。
知事は最初、犠牲者4名としか知らされていませんでした。
「自衛隊要請が知事しかできなかった」や、
「自衛隊員が上からの命令でないと動くことができない」
などの信じられないような縛りもあったのです。
(むろん現在では、この反省を活かして改定されています。)

そのため、倒壊した家屋から自衛隊が助け出すことは遅れ、
多くの方が亡くなりました。
しかし、美しい心を持っている日本人はこういう火事場で
最大限に人に優しくなれるのですね。
「共助」をあちらこちらで、行っていました。

私の兄も地震直後に近くを歩いていると、
家の倒壊で下敷きになったおばあさんを助けるのを手伝ってと
近隣住民から言われ、瓦礫をとって助けたそうです。
おばあさんは2階建の家屋に住んでいましたが、1階は潰れ、
2階の瓦礫の隙間に運良くスペースがあって助かったそうです。

このように地域の住民たちのおかげで助かった命も多く、
「公助」の助けを上まわっていました。


平成15年版防災白書より抜粋すると、
阪神淡路大震災では家屋などの下敷きとなった16万4千人のうち、
12万9千人(約8割)が自力で脱出、
そのうちの生き埋めとなった3万5千人のうち、
2万7千人(約16%)は近隣住民が救出、
約8千人は警察、消防・自衛隊が救出
しました。
近隣住民により救出された人の約8割が生存していたのに対し、
警察や自衛隊の公助により救出された人の生存率は5割に留まっています。
このように、「自助・共助」は重要性が高いのです。

gurafu



もちろん、現在の自衛隊も消防隊の方たちも本当に自分を犠牲にして
頑張ってくれて、いつも素晴らしい働きをしてくれます。
でも、大規模の災害時は交通網も寸断、
救助に来れる人数にも限りがある
のです。

また、住む地域により来てくれるまで時間がかかります。
このように「公助」には限界があるのです!!
ですから、公助をあてにしないようにしましょう!
待っていては救える命も救えません!
だからと言って一人で共助はダメですよ。
共助は皆で助け合うことですから、
1人で無理しないで皆で安全に気を配りながらです。

震災グラフ3



東日本大震災では亡くなられた15,467名中の92.4%が
津波に巻き込まれた結果溺死された方ですが、
阪神淡路大震災では6,434名中83.3%の方が建物の
倒壊や家具などの転倒に伴う圧死でした。

しかも、犠牲者全体の90%以上は震災発生日の
午前6時が死亡推定時刻とされており、
午前5時46分に発生した阪神淡路大震災では
ほとんどが即死だったと考えられています。

耐震基準も古かったため、1981年に改正された基準値に対しても
何も対策がなされていませんでした。
木造建築では建物がバラバラになって倒壊してしまい、
生存空間と呼ばれるがれきに人が入れるくらいの隙間が無かった為、
生存率に大きく響いていました。

早朝に地震が起きた事もあり、
寝ている人が逃げる間もなくがれきに潰されてしまい
被害が大きくなったと考えられます。

日本の家は寝室に畳だけの家も多いので、上から天井が落ちると
隙間なしで直接落ちてきます。
寝ている時はどうしようもないかも知れませんが、
もし地震があった時、シェルターの役割をしてくれる
頑丈な机やテーブルがそばにあるといいですね。

つい先日の大阪高槻では、地震の際に寝室で寝ていて
本箱の下敷きになって亡くなられた方がいました。
蔵書(?)の多い私も本箱だけは危ないな~と、
心底反省しています。なんとかしないとですねぇ。

地震で家具・家電等の転倒による圧迫死を防ぐために
必ず家具や家電製品の固定をしておきましょう。
埼玉県では減災に向けた自助の取り組みをしており、
家具の固定の仕方や家具のレイアウトなど、
埼玉県サイトで詳しく説明しています。
ぜひ、ご参考になさってください。
https://www.pref.saitama.lg.jp/a0401/bousaitaisaku/kagunokotei.html">https://www.pref.saitama.lg.jp/a0401/bousaitaisaku/kagunokotei.html

さらに埼玉県のサイトで下記PDFも配ってますので、
下記にリンクさせました。
ぜひ参考にして防災、減災に活かしてくださいね。

命を守る3つの自助の取組(PDF:567KB)

家具の固定をしましょう(PDF:1,086KB)

減災グッズ チェックリスト(PDF:445KB)


さて、皆さま、くどくどと述べてきましたが、
私の言いたいこと、お解りいただけたでしょうか。
本当にいつ何が起きるかわからない時代になっています。
いや、今この瞬間に何が起こってもおかしくないのです!
そして、皆、自分の身を守ることが第一なんだから、
助けを待っていてはダメなんです。
また、自分の家族を助けるにも自分が無事であってこそ、なんです!

だから、ご自分で、ご家族で、ぜひ、
防災について考えて
みていただきたいと思います。

政府広報オンラインの防災対策情報は下記

●一番大切なのは、一人一人が取り組む防災
●家の中の安全対策をしておく
●地震が発生したときの、身の守り方を知っておく
●津波警報・津波注意報が出たときは
●ライフラインの停止や避難に備えておく
●安否情報の確認方法を家族で決めておく

https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201108/6.html#anc03


〈おまけ〉
あの時の私 まんぷく震災体験記 1


阪神淡路大震災の時、あの時何が起こったか。

私は当時大阪に住んでいました。
地震当日は一人で寝ていてぐらっと来た瞬間にパッと起きて、
なんと、冷静な私は一人で、すぐに揺れを確認しました。
当時は熱帯魚を飼っていたので、水槽の中の水がどんぶらこ、どんぶらこ、バッシャ~ン!と中の水が左右に激しく動いて飛び散りました。
水槽は90センチのが2槽あって、私は両手を広げて2つの水槽の縁を掴んで、揺れが治るまで待ちました。その間、食器棚からはワイングラスなどが床に落ち、ガラスが飛び散りました。

9階だったので、かなりの横揺れでした。
うわ~っ!大変なことになったなと思い、テレビをつけて見ると、
地震の規模がわかりました。
高速道路が横倒しになり、車が落ちそうになっていたり、
ビルや家屋が倒壊してえらいことになってました。

そして実家は火災が激しい地区だったので、
本当に心配しました。
親兄弟が住む街に黒煙が延々と立ち昇るテレビの画面を見て、
もうダメだ!どうしよう~。まさか!!

当時で築40年の木造家屋です。
ぼろ家が無事であるはずがない!
とにかく帰ってみなきゃ。
そう思い、身支度をして薬、毛布、
すぐに食べられるものをリュックに詰めて用意は整いました。

しかし電話しても繋がらず、交通網は寸断されていて、
どうやって実家に様子を見に行けば良いのか考えました。
夜になってしまい、結局、とりあえず行けるとこまでタクシーで行ってあとは、ヒッチハイクと歩きで行こうと思いました。

程なくタクシーはつかまり、3時間かかって尼崎あたりまで行きました。
そして全く進まなくなったので、タクシーの運転手はここからは降りてくれと言いました。そして、運賃3万円(!)を請求されました。

タクシーを降りてしばらく歩きました。
どこかの薬品工場が爆発して有毒ガスが漏れている地域に入ったため、
通行止めで迂回して歩かねばなりませんでした。

トイレに行きたくなり、どこかの公園のトイレに入りました。
水が出ないため、詰まってます。便器から溢れていました。
やめて我慢することにしました。

本日はここまで。
まんぷく震災体験記 2 へつづく〜
ぜひ、お読みくださいね〜!!
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