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【防災】忘れてはいけないあの日のこと。

こんにちは。お久しぶりです。
シンシアリー「ダイエットがんばる部」の
臨時応援部隊のはらぺこです。

相次ぐ地震や大雨で、このところの日本は、災害が続いています。
23年前に阪神大震災を経験した私にとっては、
改めて防災に対する意識が高まりました。
時間が経つにつれて、あの恐怖や危機管理に対する気持ちが
薄れていったのは確かで、反省しっぱなしです。
が、あの時、体験したからこそ、活かされることも
今後あるかもしれません。
そこで今回は、自分のためにも、記憶を辿って
阪神大震災の時の当日の体験談をお話させて頂きます。

当時、マンションで両親と暮らしていた私は、
ひとり自室で寝ていました。
1995年(平成7年)1月17日5時46分。
大きな揺れと大きな音で目が覚めました。
ベッドの上で身動きが取れない状態でした。
その揺れに、身を守ること1つすら出来なかったのを覚えています。

長い揺れが終わった後、うっすら見える自分の部屋の中の
様子が激変していることが分かり、
倒れていた棚などを持ち上げ、移動させたりして、
自室から自力脱出しました。
その時は必死だったので、後から、
これこそ火事場の「バカヂカラ」だなと思いました。

また、ベッドの上に居た私、特に頭の上には、
何も倒れてこず、落ちてこなかったことが、奇跡的でした。
なので、就寝時のタンスの位置、上から物が落ちてくる
可能性などを考えておくべきだと改めて思いました。

176466.png

私が自力で脱出している間、
父は、マンションの他の部屋の方の安否確認や、
ドアが傾いてドアが開けられない…などのことで、
住民たちと救助作戦に行っていました。
大きな地震で、家の崩壊を免れても、ドアがゆがみ、
家から脱出できないということも考えられるのです。

後から気づくのですが、
割れたガラスが散乱している部屋を、
地震直後は、靴下1枚もしくは素足で家族は歩いていたのです。
その後、慌てて履ける靴を見つけ出し、
家の中で靴を履いて足元の安全を確保しました。

時間が経つにつれて、陽が昇り、
部屋の中がどうなっているのかが、どんどん分かってきたのと同時に、
マンション7階から見える外の景色が、いつもと全く違っているのが分かったきた時、
ただ事ではない…と実感していったのでした。
また、六甲山のあちこちで、崖崩れを起こしているのも見えました。
テレビは使えず、ラジオも手元になく、もちろんその当時は、スマホなどもなく…。
自分たちが置かれている状況は全く把握できていなかったのです。

543227.png

住んでいたマンショは、崩壊は免れたのが、不幸中の幸いでした。
部屋の中は、ただただ…全てが倒れ、ゴミと化した食器や物が散乱していました。
冷蔵庫の中にあったものも吹っ飛んで、食べ物や調味料も散乱。
飼っていた金魚2匹も、吹っ飛んだのでしょう。やっと見つけ出した時は既に遅し…でした。
(地震の前日、金魚2匹が水槽から飛び出すかの勢いでジャンプしたのは、何かを感じとっていたからでしょうか?)

また、地震の揺れが大きかったことを実感させたのが、
風呂釜にあったお水が揺れによって全く無くなっていたことです。
唯一お水があったのは、トイレタンクに少しだけ。
なので、お風呂の水が使える!と思ってはいけません。
もちろん上下水道は機能してませんから、トイレ問題も発生してきます。
下水道に流さない処理も被災してからの作業の1つに入ります。
また、その水とは別に飲み水は必須です。
当時、何も用意していなかった私たち家族は、いつ水分をとったのか覚えていません…。
冬だったのが唯一の救いです。

当時、パニック状態の私達家族は、この散乱したものをどうにかしなきゃ…と思う気持ちが大きく、
避難することが全く考えもつかず、時間が流れ、近所の人と色々話していると、
余震のことも考えると日が暮れるまでに避難すべきだ…となりました。
近くの某学校に着の身着のまま避難することにしました。
しかし、避難場所は被災者で飽和状態のため、
乗用車を某学校のグランドに移動させ、乗用車の中で過ごすことにしました。

502619.png

いつ襲ってくるか分からない余震への恐怖に怯えながらも、
あちこちでサイレンが鳴り響き、電気の無い暗闇の世界に、
西も東も火事で夜空が赤く染まった情景も、恐怖を拡大させていきました…。

そんな異常とも言える被災1日目の夜中の2時頃。
乗用車の窓をコンコンと叩く音が!
なんと、大阪府高槻市のピザ屋さんがボランティアで、
ご飯を色んな場所にバイクで配り回っているとのこと。
その時、私達家族は被災して初めての食事が出来たのです。
高槻市のどこのピザ屋さんだったのでしょう…聞くのを忘れて後悔しています。
高槻市といえば、18年6月に大阪北部地震で大きな被害を受けたところです。
今回、このピザ屋さんたちと逆の立場。すぐに被災者のために動かれた
行動力には感謝してもしきれません。

510262.png

そして、それから3ヵ月間だったでしょうか…学校の体育館での避難生活が続きました。
この避難生活にもいろいろあって、書き切れませんので本日はこれまで。
あの時の気持ちを忘れず、防災力というものを
身につけておきたいと実感する今日この頃です。
皆様も今一度、防災について考えてみてはいかがでしょうか?
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