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【防災】大事なペットの防災について

おひさしぶりです。
たらふくです。

9月は防災月間ということで
9月に入ってから
あちこちで防災訓練が行われていますね。
最近、大雨などによる災害も多いため
みなさんの防災意識も高まっているのでは
ないでしょうか。

たらふくも本日は防災について
少し書かせていただきます。

私は生まれてこのかた
大きな災害にあったことがありません。
なので
大きな災害が起こったときに
どんな行動をとればいいのか
正直、まったく予想がつかないんです。

南海トラフの事が
テレビで特集されていると
気になって見るのですが
津波の映像を見ると
あまりの恐ろしさに
こんなのが実際に起こったら
どうすればいいの??
それ以上考えることができず
思考がストップしてしまいます。
実際に起こった時、どう行動すればいいかが
予想がつかなかったんです。

でもシンシアリーのスタッフが
書いてくれた阪神大震災の体験談のブログを読んで
【防災】忘れてはいけないあの日のこと。
【防災】自助、共助、公助。 これからは自助の時代です。
【防災】まんぷく震災体験記 2
大地震にあうとはこういう事なんだと
より身近に感じることができました。

実際に被害にあわれた方の体験談は
テレビの映像を見るよりもとてもリアル。
自分の身に置き換えて
イメージすることができました。
経験者の生の声って本当に貴重ですね。

やはり、いざという時のために
備えはしておかないと。
とにかくまずはそれからだわ、と
防災バッグを家族分そろえましたよ。

でも1つ問題なのが、
うちで飼っているコーギーのわんすです。

犬用の防災グッズって何を用意すればいいの?
ペットは避難する場所があるの?
ばらばらになった時はどうすれば?

とまたまた不安がいっぱい。

過去に発生した三原山大噴火や
雲仙普賢岳噴火災害では
ペットと一緒に避難はできなかったようです。

東日本大震災でも
ペットと一緒に逃げることが難しく、
津波などの犠牲になってしまいました。
一緒に行動できた場合も、
ペットの受け入れ体制がない避難所が多く、
ペット用の物資や場所、
避難者同士の理解など、
色々な問題が発生したようです。

熊本地震では
過去の事例を受けて環境省が
「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン」を発表し
ペットの「同行避難」が推奨されました。
ただ避難所では居心地が悪かったところもあるようです・・・

この「同行避難」ですが
避難所に着いたら人とペットは
それぞれ決められた場所で別々で避難生活を行うことになります。
「同伴避難」というのもあり、
こちらは避難所でも同じスペースで一緒に
避難生活を送ることができます。

各市区町村で対応は違うようですので
「同行避難」もしくは「同伴避難」がOKかどうか
犬猫以外のペットもOKか

などあらかじめ調べておかないといけないですね。

また、避難所で周囲に迷惑をかけないように、
ペットをコントロールできるように
しつけもしておきましょう。

あとは、はぐれた時のために
迷子札マイクロチップを事前に準備しておくと
見つかりやすいです。
マイクロチップはちょっと抵抗あるのですが
狂犬病予防注射の時にもらう
鑑札注射済票をつけておくと
札の登録番号で飼い主が分かるそうです。
これはいいですね。知らなった。
鑑札

そしてペット用防災グッズ。
いつも使っている慣れているものが
ペットにとってもいいですよね。
最低でも3日~5日分を目安に準備しておきましょう。

・ペットフード
 いつも食べているものを
・水
 犬に人間の水をあげるなんて、という声もあるそうなので
 ペット用とかかれたものを用意しておくといいかも。
・お皿
・ビニール袋
・ペットシーツ、猫砂
・においが漏れないマナー袋

・簡易ペットトイレ
 折りたたんでコンパクトになるのが便利

・常備薬
・首輪、リード
・防災用ペットキャリー
 キャスター付きや、リュックになっていたら便利かも

・ペットの情報がわかるメモ
 生年月日、健康の記録(既往歴、ワクチン接種歴)
・飼い主と一緒に写っている写真
 ペットを探す時に人に聞けるし、自分のペットであることの証明にもなります
・おもちゃなど

自分たちの防災グッズもあるので
なかなか大変な荷物です。。
こんなのいざという時にかついで
10kgあるわんすも抱えていけるの?って感じですが
でも
避難所でもわんすと安心して過ごせるように
備えておこうと思います!
そなえて安心

たらふくでした。
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【防災】まんぷく震災体験記 2

まんぷくの震災体験続き

こんにちは〜!今日もこのブログに来ていただき、
ありがとうございます!!

では、続きをどうぞ。

道路沿いの建物も崩壊して今にも倒れてきそうな側を
ヒッチハイクしながら、ずっと歩いていると
どこかの親切なおじさんが、
「どこまで行くの?途中までなら乗せてあげるよ」と
言って車に乗せてくれました。

親切なその方はおにぎりをたくさん作って親戚の所へ向かう途中だと
言ってました。その人におにぎりを一ついただいて食べました。
昨日の地震発生から何も食べておらず、
塩おにぎりに海苔が一枚巻かれていただけのシンプルな
まあるいおにぎりがとっても美味しかったのを今でも忘れません!

その人は激しい揺れでもなんとか自分の家は無事だったそうですが、
隣の家が古い家屋だっため、1階が崩れ2階の下敷きになったため、
慌てて隣の人を助けに行ったそうです。

倒壊家屋


瓦礫を退けて、大声で叫ぶと小さく返事が返ってきたので、
周りにいた人に声をかけてみんなで救い出したそうです。
素晴らしい!救出が早かったから大丈夫だろうと話していました。
「良かったですね!私の家も築40年だから危ないんです。」
とつい涙ぐんでいうと、その人は「大丈夫!気をしっかり持って!」
と励ましてくれました。

避難

芦屋あたりでそのおじさんと別れ、また一人でヒッチハイクしながら歩きました。
車はなかなか止まってくれません。
皆、自分の家族が心配だから、人のことまで構ってられませんよね。

こんなことなら自転車でくれば良かった!
これは、震災後もずっと思ってきたことです。
甘ちゃんの私はなぜか、自転車で実家に行こうという考えはなく、
タクで行けるだろう。と甘く考えてたのでした。

自転車

震災時の自転車の活躍と言ったら!と思うくらい、
自転車があればな〜と何度も思ったのでした。
もちろん、震災で自転車も被災して壊れてしまっては意味ないですが。

2時間ほど歩いたのち、また親切な方が車に乗せてくれました。
その方も三宮までならいいよと言ってくれました。
なぜか、その時のことはあまり覚えてないのですが、
その方は私に気を遣って黙って運転していました。

三宮まで来て親切なおじさんと別れて車道脇の歩道を歩きました。
大きなビルが斜めに傾き今にも崩れてきそうでした。
本当にどこもかしこも倒壊!倒壊!で、
瓦礫を避けながら歩きました。

途中で、女性が瓦礫の側で泣いていました。
知り合いが来て、話してるのを聞いていると、
「朝は声がしていたけど、昼からは声がしなくなった。」
と、言って泣き崩れました。
早く助けに来てと何度も警察に行ったが、
誰も来てくれなかったそうです。
それを見て、思わず目頭が熱くなり泣きました。

長田まで来て、いよいよ心が破裂しそうになりました。
もはやどこも焼け野原で焼土と化し、
歩くと熱くて下からプチプチ音がして
また燃え出す有り様。
そこらいらじゅう、焦げ臭く、
小さな爆発音があちらこちらで「ボン!」と鳴り、
絶え間なく聞こえてくるのです。
危ない道なき道を歩いて、ようやく兄の住む住宅に着きました。

兄の住むマンションの1階にたどり着くと、
瓦礫の片付けをしていた兄が「お前、こんなとこで何しとん?」
と声をかけてきて無事が確認できました。
良かった!と思わず笑みがこぼれました。

「お母さんは?」というと「無事やで」と知らされ、
喜んですぐに実家へ行きました。
実家ではなんと、築40年も経つボロ家が
傾いてはいるけどしっかり建っていました。
屋根瓦も全て落ち、家の中のタンスも全部倒れたり
壊れたりしましたが、無事、2階が1階になるということは
ありませんでした。潰れてなかったのです!

お母さんは震災当日、2階のベッドで寝ていました。
そして、揺れがおさまってから階下に降りて行きましたが、
全ての家具が倒れ、食器は割れてそこから先へは行けませんでした。
すぐ下にあったトイレに入ってそのまま助けを待ったそうです。

その頃は祖母もまだ生きていて、1階のベッドに寝ていましたが、
家具の位置とは反対側にいたので、無事でした。しかし、
祖母のベッドの中に、頭のすぐ横にあった扇風機(大きめのやつ)が落ちてたそうです。

なんで扇風機が?と不思議ですが、よく頭に落ちなかったものです。
ラッキーでした。祖母はその頃にはもうボケていて、
お母さんが「お祖母さん、大きな地震があったんやで。」
と言うと、「そうか〜。わからんかったわ〜。」と言ったので、
皆で笑いました。

父はその頃、スーパーなどに卸す魚を捌いて加工する会社に勤めており、
その時間は会社に居て仕事中でした。
幸い父も無事で、家に戻ってきました。
トイレでうずくまっていた母と二人で近所がどうなってるのか
確かめに歩いたそうですが、
家の中で亡くなってる人もいたそうです。

実家の付近は火災を免れましたが、激しい揺れで古い住宅や
アパートなど倒壊して家屋の下敷きになって亡くなった方が沢山います。

小さい頃からのご近所さんが夫婦で家屋の下敷きになって亡くなられました。
実家の隣のアパートに住んで居たその息子さんも、
アパートが倒壊して家具の下敷きになり、
消防隊の人に救助されて病院に運ばれていきました。
息子さんが両親が亡くなったことを知った時のことを思うと、
気の毒でなりません。
隣のアパートに住んで居た方たちは皆無事でしたが、
倒壊していたので、皆引っ越して行きました。

話が少し外れてしまいましたが、私が実家に戻ってからは、
当然、大阪の家には戻れません。交通手段がなかったので。
で、しばらく会社は休ませてもらいました。

私の両親も初めは避難所に行きましたが、
狭い小さなところに大勢が来ていたので、
家の2階は傾いてるけどなんとかなるだろうと、
家に戻ってきたそうです。

幸い冬だったから冷蔵庫のものはすぐには腐りませんでした。
さらに、冷凍の魚や肉など保存していたものがあり、
カセットコンロとボンベも常備があったので、
即、鍋をして近所の人や心配で駆けつけた親戚とで
美味しくいただきました。

3日、4日も経つとようやく救援物資が届くようになり、
トラックやヘリコプターなどでばらまいていきました。
しかし、家にいると救援物資が届けられません。
どうしても避難所の方が優先になってしまうからです。

当時、毎日救援物資がどこに届くとか情報がでていたので、
避難所の人、家にいる人で、町内会が仕切ってお弁当や、
消耗品などの支援物資が来たら知らせてくれたのです。
なので必要なものがあれば配られる地点へもらいに行ってました。

炊き出し

また、当時、実家には自転車がなかったので、どこへ行くのも歩きで、
自転車が欲しい〜と心底思っていました。
小回りが利くし、救援物などの荷物も詰めるし、
ぜひ、1台は確保ですよ。

救助物資は大体、広い通りの道路上にトラックが来て、
荷台の上から配ってました。
はじめはみんなきちんと整列していましたが、
段々と我先にの激しい奪い合いになりました。
その奪い合いをしてるのは、ほぼ外国から来て
日本に住んでいる人たちでした。

当時、ポケットベルが終わる前の時代、
携帯電話もそんなに普及してなかったように思いますが、
その外国の人たちは携帯電話で連絡を取り合い、
私にはわからない言葉で早口でまくし立てるように電話していました。

何処何処で何が配られていると瞬時に情報を流して、
皆でわっと取りに来てしまうため、
被災している日本人はもらえなかったりしていました。

そんな人たちに何度も遭遇しました。
あ、でも私はそんなことに負けずに、隣の人の分まで任せとき!
ばかりに支援物資をもらいに日々戦っていましたが。。。(笑)

あと、泥棒も沢山いました。被災して避難所に行ってると、
付近に誰も居なくなり、泥棒に好都合な状態になったのです。
何軒かやられて、それからは皆家が壊れたりで戸締りはできないから、
交代で見回るようにしていました。
本当に、こんな非常時に酷い奴がいるんです。

親子避難

けれど、悪い人ばかりではありません。
震災時には本当に多くの方がボランティアや、
救援物資を届けてくれました。
実家の食器棚が転倒してしまい、ほとんどの食器が
割れてしまったので、友達が使わなくなった食器を
沢山送ってくれたり、会社の社長も見舞金をくれたりと、
本当にお世話になりました。
感謝、感謝、感謝です!

さて、皆さま、我が家は築40年の木造の2階建て住宅。
壁も土壁でペラペラの薄い壁。
なぜ、このボロい我が家が潰れてなかったのか?
それは震災前の年、1994年に1階をリフォームしたからでした。
当時、1階部は泥土の上に建てていたため、
大工さんが耐震用に太いボルトを要所に埋め込んでくれていたそうです。

そのおかげか1階部はお風呂に少し亀裂が入ったり、
外壁が剥がれ落ちたりはしていましたが、
大丈夫でした。2階部は壁だけを塗り直しただけ
だったのでかなり傾き、
押入れと畳の間が10センチも空いたりして
押入れから青空が見えるような有り様で、
半壊の認定を受けました。

その後、屋根とか外壁はすべて修復しましたが、
2階の傾きはどうしようもありませんでした。
天井のところの漆喰の壁もべろ~んと至る所、
めくれていました。
大工さんになんとか修理の依頼もしていましたが、
大工さんも忙しいのかなかなか来てくれず。
というより、入り組んだ所に建っているため、
車が入らず、引き上げることができないために
ほったらかしになってたのだと思います。
2階が傾いたまま何年か経ちました。

机

すると、面白いことにその後の余震や地震がある度に、
少しづつ、少しづつ家の傾きが直っていったのです!
20年経って、10センチの開き(大穴)があった敷居も
3センチまでになっていました。
傾きもわからないくらいになっていました。
木造住宅ってしなっても戻るから凄いですね。

けれど、震災時に水道管が壊れていたせいか、
水漏れがありました。
そのせいで台所の流し台の下に大きな穴が空いてしまい、
何年か前から下水の悪臭がするようになっていました。
穴はDIYで私が補修はしたのですが、
匂いは滲み出てくるのです。

また、毎冬隙間風がひどく、家の中でも外にいるみたいなほど、
冷える家でした。2階にいてもわからないような隙間風が
階段を降りて1階へどーんと、まるでポルターガイストのように
大きくなった風が押し寄せて来るのです。
ホントに不思議でした。

でも、今年、年明けとともにまたリフォームした我が家。
2階の風穴も全て塞ぎ断熱材を壁にめぐらせ、
隙間風なしの暖かい家になりました。

今は大阪から私も引越してきて母と暮らしています。
皆さま、やはり、家のリフォームって大事ですよ!
古い日本家屋は特に危険です!
本当に耐震リフォームをお勧めします。

いかがでしたか?
まんぷくの震災体験記。
まだまだいろいろ話はつきませんが、
備えの参考になればと思います。

とりとめなく長い話ですみません。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

ここで私が体験して思った災害時にあれば、
助かるアイテムの紹介をしたいと思います。


1、マスク、耳栓、持病の薬、テッシュ、歯磨きなど衛生用品、ポリ袋など。

自分が直ぐに必要になる持病の薬や、生活消耗品、
避難所などで安眠できる耳栓や、
地震では瓦礫の粉塵が凄いのでマスクも必需品になります。
自分にとって必要な順位を決めて、揃えておきましょう!

2、カセットコンロ

災害時にはライフラインが使えません。
復旧するまで災害の規模や地域によって時間がかかります。
卓上コンロとガスボンベもセットで用意していると、
寒い時などはお茶が湧かせて助かります。
災害時は簡単な調理ができると、
それだけでも幸せな気分になれるんです。
おにぎり一つですごく喜んでましたから。

3、冷蔵庫の中にも備え

冷蔵庫にはいつも備蓄をして、すぐに食べられるものと
少し日持ちするものも入れておきましょう。
避難生活に備える、ということを考えたとき、
まずはどこのご家庭にもある「冷蔵庫の中身」をうまく活用することが第一で、
それほど大量の水や食料はいらないのでは、と私は思います。
都市部であれば3日もすれば救援物資(食料)が届けられるので。

うちの実家の場合は、ライフラインは震災直後は全て無事でした。
でも、その後ガス、電気は二次災害防止のため
ストップされたので、お風呂も入れませんでした。
停電している状態であれば、もちろん冷凍食品や生鮮食品などは
初日か2日目に消費しなければいけませんが、
冷凍庫に保冷剤などを入れて凍らせておけば、
ある程度冷蔵庫の温度を保つことが可能になります。
最近は百均でとても良い保冷剤が売られてます。

冷蔵庫の中身が空になったら、その段階で初めて、
備蓄している缶詰やレトルト食品などを消費し始める、
という考え方をすれば、ずいぶんと揃える品数も楽に
なるのではないでしょうか。

4、ママチャリ

30km~50kmくらいの距離なら、
交通がマヒしていても自転車があれば十分!
大阪から実家へ向かうとき、なぜ自転車で行かなかったのか
悔やまれました!
ぜひ、荷物が載せられるママチャリを1台持っていましょう!
自転車の空気入れと修理道具もあればベストです!
救援物資もチャリがあれば楽々もらいに行けますよ。
知り合いの安否確認もしに行けるし。
もちろん、バイクがあればその方がいいでしょう!


最後にひとつ、ぜひのぞいてみて欲しいサイトを見つけました。

■未来防災課 http://miraibo.net
バナー 125×125
“防災をテーマに様々な情報を発信するWebメディアです。
みなさんの日常の中で、ちょっとだけ防災を
思い出していただけるようなキッカケ作りが目的のサイトです。”

〈HPより引用〉

未来防災課では、どうなる7日間乾パン生活などユニークな内容も!
真面目に為になることもいっぱいです。
ぜひ、参考になさってください。
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| 防災 | 08:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【防災】自助、共助、公助。 これからは自助の時代です。

自助、共助、公助。
これからは「自助」の時代です。


震災

久しぶりに防災の記事の依頼をいただきました。
こんにちは。まんぷくです。
皆さま、「自助、共助、公助」って聞いたことありますか?

防災対策で大切なことは、自分の身の安全を守るために一人一人が取り組む「自助防災」です。

1
「自助」とは、自分で自分の身を守ること。

地震、津波、火事、洪水、自然災害は想像をはるかに超え、
とてつもない力で私たちを襲います。
どんなことが起きるかわからない時代だから、
落ち着いて、自分の命は自分で守る心構えが大事です。

地震や津波などに遭遇した時に身の安全の守り方を知っておくこと。
身の安全を確保して生き延びていくために、
住まいの中の安全対策や、水や食料などの備えを考えておくことも必須です。

防災2

2
「共助」とは、地域や隣近所で助け合うことで、これにより多くの命が救われます。

助け合いの精神は大切です!

公助ではカバーしきれない細かい範囲を、
「共助」では助けることができます。
最近は近所付き合いなども疎遠になりつつあると言われており、
「無縁社会」や「孤立死」など定期的にニュースでも
報じられている通り、個人と地域の結びつきが
問われる時が来ています。
みそ、しょうゆの貸し借りが日々あった古き良き時代。
そんな平和な時代にはもう戻れません!

3
「公助」とは、公的機関が個人や地域では解決できない災害の問題を解決すること。

公の機関、つまり国や政府の助け、
自衛隊や消防隊などの助けをあてにすること。

私たちは日常生活で行政に依存する部分があるため、
災害時も市民は公助を期待します。

しかし、ある調査では災害時には自助・共助・公助の
割合が7:2:1になると報告されています。
災害時に公助は限定的にしか機能しないうえ、
災害が深刻であればあるほど公助の機能は低下すると。

消防



焼け野原と化した長田区、倒壊した家屋の住人たち。
阪神淡路大震災で多くの人が思いました。
国や政府に頼っても仕方ない!と。
火災の発生により、私の親しい友人の家も焼けてしまいました。
あの日、遠くに見えていた火の手がこんなところまで来るとは!
なぜ消し止められなかったのか。
呆然と自分の家が焼けるのを順番待ちで見ていたといいます。

火事


あの日、未曽有の災害となりましたが、政府は規模の把握ができず、兵庫県知事の自衛隊出動要請が4時間も遅れたのです。
知事は最初、犠牲者4名としか知らされていませんでした。
「自衛隊要請が知事しかできなかった」や、
「自衛隊員が上からの命令でないと動くことができない」
などの信じられないような縛りもあったのです。
(むろん現在では、この反省を活かして改定されています。)

そのため、倒壊した家屋から自衛隊が助け出すことは遅れ、
多くの方が亡くなりました。
しかし、美しい心を持っている日本人はこういう火事場で
最大限に人に優しくなれるのですね。
「共助」をあちらこちらで、行っていました。

私の兄も地震直後に近くを歩いていると、
家の倒壊で下敷きになったおばあさんを助けるのを手伝ってと
近隣住民から言われ、瓦礫をとって助けたそうです。
おばあさんは2階建の家屋に住んでいましたが、1階は潰れ、
2階の瓦礫の隙間に運良くスペースがあって助かったそうです。

このように地域の住民たちのおかげで助かった命も多く、
「公助」の助けを上まわっていました。


平成15年版防災白書より抜粋すると、
阪神淡路大震災では家屋などの下敷きとなった16万4千人のうち、
12万9千人(約8割)が自力で脱出、
そのうちの生き埋めとなった3万5千人のうち、
2万7千人(約16%)は近隣住民が救出、
約8千人は警察、消防・自衛隊が救出
しました。
近隣住民により救出された人の約8割が生存していたのに対し、
警察や自衛隊の公助により救出された人の生存率は5割に留まっています。
このように、「自助・共助」は重要性が高いのです。

gurafu



もちろん、現在の自衛隊も消防隊の方たちも本当に自分を犠牲にして
頑張ってくれて、いつも素晴らしい働きをしてくれます。
でも、大規模の災害時は交通網も寸断、
救助に来れる人数にも限りがある
のです。

また、住む地域により来てくれるまで時間がかかります。
このように「公助」には限界があるのです!!
ですから、公助をあてにしないようにしましょう!
待っていては救える命も救えません!
だからと言って一人で共助はダメですよ。
共助は皆で助け合うことですから、
1人で無理しないで皆で安全に気を配りながらです。

震災グラフ3



東日本大震災では亡くなられた15,467名中の92.4%が
津波に巻き込まれた結果溺死された方ですが、
阪神淡路大震災では6,434名中83.3%の方が建物の
倒壊や家具などの転倒に伴う圧死でした。

しかも、犠牲者全体の90%以上は震災発生日の
午前6時が死亡推定時刻とされており、
午前5時46分に発生した阪神淡路大震災では
ほとんどが即死だったと考えられています。

耐震基準も古かったため、1981年に改正された基準値に対しても
何も対策がなされていませんでした。
木造建築では建物がバラバラになって倒壊してしまい、
生存空間と呼ばれるがれきに人が入れるくらいの隙間が無かった為、
生存率に大きく響いていました。

早朝に地震が起きた事もあり、
寝ている人が逃げる間もなくがれきに潰されてしまい
被害が大きくなったと考えられます。

日本の家は寝室に畳だけの家も多いので、上から天井が落ちると
隙間なしで直接落ちてきます。
寝ている時はどうしようもないかも知れませんが、
もし地震があった時、シェルターの役割をしてくれる
頑丈な机やテーブルがそばにあるといいですね。

つい先日の大阪高槻では、地震の際に寝室で寝ていて
本箱の下敷きになって亡くなられた方がいました。
蔵書(?)の多い私も本箱だけは危ないな~と、
心底反省しています。なんとかしないとですねぇ。

地震で家具・家電等の転倒による圧迫死を防ぐために
必ず家具や家電製品の固定をしておきましょう。
埼玉県では減災に向けた自助の取り組みをしており、
家具の固定の仕方や家具のレイアウトなど、
埼玉県サイトで詳しく説明しています。
ぜひ、ご参考になさってください。
https://www.pref.saitama.lg.jp/a0401/bousaitaisaku/kagunokotei.html">https://www.pref.saitama.lg.jp/a0401/bousaitaisaku/kagunokotei.html

さらに埼玉県のサイトで下記PDFも配ってますので、
下記にリンクさせました。
ぜひ参考にして防災、減災に活かしてくださいね。

命を守る3つの自助の取組(PDF:567KB)

家具の固定をしましょう(PDF:1,086KB)

減災グッズ チェックリスト(PDF:445KB)


さて、皆さま、くどくどと述べてきましたが、
私の言いたいこと、お解りいただけたでしょうか。
本当にいつ何が起きるかわからない時代になっています。
いや、今この瞬間に何が起こってもおかしくないのです!
そして、皆、自分の身を守ることが第一なんだから、
助けを待っていてはダメなんです。
また、自分の家族を助けるにも自分が無事であってこそ、なんです!

だから、ご自分で、ご家族で、ぜひ、
防災について考えて
みていただきたいと思います。

政府広報オンラインの防災対策情報は下記

●一番大切なのは、一人一人が取り組む防災
●家の中の安全対策をしておく
●地震が発生したときの、身の守り方を知っておく
●津波警報・津波注意報が出たときは
●ライフラインの停止や避難に備えておく
●安否情報の確認方法を家族で決めておく

https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201108/6.html#anc03


〈おまけ〉
あの時の私 まんぷく震災体験記 1


阪神淡路大震災の時、あの時何が起こったか。

私は当時大阪に住んでいました。
地震当日は一人で寝ていてぐらっと来た瞬間にパッと起きて、
なんと、冷静な私は一人で、すぐに揺れを確認しました。
当時は熱帯魚を飼っていたので、水槽の中の水がどんぶらこ、どんぶらこ、バッシャ~ン!と中の水が左右に激しく動いて飛び散りました。
水槽は90センチのが2槽あって、私は両手を広げて2つの水槽の縁を掴んで、揺れが治るまで待ちました。その間、食器棚からはワイングラスなどが床に落ち、ガラスが飛び散りました。

9階だったので、かなりの横揺れでした。
うわ~っ!大変なことになったなと思い、テレビをつけて見ると、
地震の規模がわかりました。
高速道路が横倒しになり、車が落ちそうになっていたり、
ビルや家屋が倒壊してえらいことになってました。

そして実家は火災が激しい地区だったので、
本当に心配しました。
親兄弟が住む街に黒煙が延々と立ち昇るテレビの画面を見て、
もうダメだ!どうしよう~。まさか!!

当時で築40年の木造家屋です。
ぼろ家が無事であるはずがない!
とにかく帰ってみなきゃ。
そう思い、身支度をして薬、毛布、
すぐに食べられるものをリュックに詰めて用意は整いました。

しかし電話しても繋がらず、交通網は寸断されていて、
どうやって実家に様子を見に行けば良いのか考えました。
夜になってしまい、結局、とりあえず行けるとこまでタクシーで行ってあとは、ヒッチハイクと歩きで行こうと思いました。

程なくタクシーはつかまり、3時間かかって尼崎あたりまで行きました。
そして全く進まなくなったので、タクシーの運転手はここからは降りてくれと言いました。そして、運賃3万円(!)を請求されました。

タクシーを降りてしばらく歩きました。
どこかの薬品工場が爆発して有毒ガスが漏れている地域に入ったため、
通行止めで迂回して歩かねばなりませんでした。

トイレに行きたくなり、どこかの公園のトイレに入りました。
水が出ないため、詰まってます。便器から溢れていました。
やめて我慢することにしました。

本日はここまで。
まんぷく震災体験記 2 へつづく〜
ぜひ、お読みくださいね〜!!
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【防災】女子必見!女性が個人で職場に備えておくと良いものクローズアップ編

イラスト_女子の防災グッズ

こんにちは、ごちそうさんです。
先日「職場に欲しい防災グッズ10選!」ということで、ダイエットがんばる部が厳選した防災グッズをご紹介させていただきましたが、
身内での反響は、むしろ最後にサラッとリストアップした「女性が個人で職場に備えておくと良いもの」の方がよかったんです。あれぇ〜?
ということで、クローズアップ編としましてリスト内容をあらためて確認してみましょう!


■衛生用品
 ・ハミガキセット
 ・洗顔セット
 ・ドライシャンプー
 ・汗拭きシート(ウェットティッシュ)
 ・綿棒

衛生用品は普段から職場に置いている人も多いと思います。非常時にも、もちろん活躍してもらいましょう。
さすがにドライシャンプーまでは用意してないという方、ちょうどこの暑さで使う出番もありそうですから、この機会に備えてみてはいかが?
というのも、外回りで汗をかいたあとや、逆に出張する前とか、アフターでデートや女子会予定が入っている時などなど、職場でも意外に使えるシーンが多いんですよね。
ドライシャンプーには、「シートタイプ」「泡タイプ」「ミストタイプ」「スプレータイプ」「パウダータイプ」など種類がありますので、自分の使いやすいもの見つけてください。非常時にタオルやドライヤーが使えない場合を考えると、シートタイプが便利で携帯するにも軽くていいかも。ただ、一度開封すると早めに使い切らないと乾燥してしまうんですよねー。
それでも、ドライシャンプーはデイリーでもっともっと気軽に活用して常備しておきたいアイテムです。


■生理用品
こちらも常備している人は多いと思いますが、ナプキンやシートはいざという時に使い捨ての下着として代用できますのでぜひ!
阪神淡路大震災の時、おかげさまで私はなんとか無事でしたが、知り合いが多く被災し、当時バイク乗りだった私は、同じくバイク乗り仲間と一緒にオフロードバイクで被災地にせっせと物資を運びました。(まだ一般車が被災地に入れない状況だったため、バイクが重宝されたのです)
震災から4日後のことですが、水や食料はぼちぼちと届けられているようで、被災した知人たちからは「着替え」と「生理用品」が切実なリクエストでした。集めたカンパで、できるだけ多くの下着を買い込み、一枚ずつ下着と生理用品をセットして、見えないように紙で包みました。紙にはみんなで応援メッセージを徹夜で書き込んで、書いているうちにみんな涙ぐんでしまって。被災した人たちの辛さと自分にできることの小ささを考えてしまい、無力感がハンパなかったんですよねぇ。それでも後日、わずかでも届けた生理用品が役立ったと聞いた時にはとても嬉しかったです。
あちこちでもそうした教訓があって今では防災グッズの定番となりましたが、やはり個人でもしっかり多めに備えておけば安心だと思います。なかなか男性任せにはできないジャンルですしね。


■携帯トイレ
100円ショップなどで買えてかさばらないので、ぜひ個人でも備えておきたいグッズです。
非常時に職場で簡易トイレが設置される場合でも、数によってはかなり並んで待たされることが予想されます。いざという時に使える安心感は大きいですよ!
それに携帯トイレならバッグに入れて持って出ることができますので、帰宅することになった時にも便利です。
あるいは、介護用品の大人用おむつや尿もれパッドも非常時に使えるそうです。排泄したあとはジップロックなどの密閉できる袋に入れて処理すればモレやニオイが防げるとのこと。あらかじめジップロックに大人用おむつを入れて保管しておけば一石二鳥ですね。
何度も言いますが、非常時にトイレは本当に切実な問題となりますので、個人としてもできる限り備えておくにこしたことはありません。


■スキンケア用品
 ・オールインワンジェル
 ・日焼け止め
 ・ハンドクリーム
 ・ワセリン

震災後に被災地を訪れた時、マスクとゴーグルと手袋に助けられました。それほど空気が汚れていたんです。
地震による土砂崩れは土を舞い上げ、倒壊した建物からは建材の砂塵、火災で燃えたいろいろな物質が空気中に漂い、異様なニオイだけでなく、とにかく埃っぽくて息が辛かったです。
被災して避難生活を送ることになれば、そんな空気の中で何日も、あるいは何週間も過ごさなければなりません。
それでなくてもストレスで弱っている時に、埃っぽい空気で肌が荒れて辛かったという話もたくさん聞きました。水が使えずに顔がじゅうぶん洗えなかったということもあるでしょう。
スキンケア用品の備えがあれば、多少なりとも肌荒れを防ぐことができそうです。
乳液などのステップが不要なオールインワンジェルがあれば便利ですよね。かさばらずに職場に置けるというのもポイントです。
私はアロエエキスがメインのオーガニックローションを愛用していますが、軽いやけどのケアもできるとあって、そうしたものを選んで備えておくのもいいかもしれませんね。
震災の経験者が言うには、日焼け止めやハンドクリームも大いに役立ったアイテムだそうです。
ハンドクリームはボディにも使えますし、油分の高いものであれば防寒にも一役買ってくれます。
それに、香りがいいものだとちょっと気持ちが⤴︎になりますよね。
ワセリンも、リップクリームの代用や、防寒、マメや靴擦れの防止、すり傷や切り傷などに塗ってラップすることで早く傷を治すことができるなど、最近は防災グッズとして注目されています。油なのでベタつくのが個人的には気になりますが、1つあれば全身のケアに使えるので便利でしょうね。(部員のボーちゃんがこちらの記事でワセリンの使い心地を紹介しています。ご参考にどうぞ)


■ハンドタオル
ハンカチもいろいろ使えて便利ですが、ハンドタオルも常備しておけばなにかと便利です。
火災の時にはハンドタオルで口と鼻を覆って逃げましょう!
この時、タオルを水に濡らさなくてもいいってご存知でしたか?
昔は濡れタオルと教えられましたが、確かに濡らしてしまうと息苦しくて、結局は外してしまうことになりますね。
(実際に、昔、避難訓練で濡れハンカチを当てて逃げましたが、苦しいのでほとんど外してました。訓練だからいいよねとか。汗)
また、ハンカチよりもタオルの方が除煙効果が高いそうです。
消防庁消防研究センターが煙中でのタオルの有用性を実験しています。
http://nrifd.fdma.go.jp/news/20140304/handkerchief.pdf
いざとなったら「水に濡らす手間と時間を惜しんで」さくっと逃げましょう。
地震後の避難時に粉塵を吸い込まないためにも、ハンドタオルとマスクのW使いはかなり良さそうです。


■ヘアゴム
髪の短い人も持っていると便利ですよ〜
髪をまとめるだけでなく、止血に使えたり、何かをとめたり、輪ゴムだと心もとないことがヘアゴムではできちゃいます。できれば2本以上持っておくと活用の幅は広がるでしょう。


■着替え
職場に着替えを置いておくのは少し気が引けるという人もいると思います。
けれども、いざ非常時になれば、水と食料の次に困る物資は着替え(とくに下着)ですからね。
なんとかコッソリ、人目につかないように用意しておきたいものです。
アイディアとしては、中が見えないタイプの圧縮袋に、一式の着替えを入れて圧縮しておくというもの。小さいロッカーでもかさばらずに備えておけます。


■防寒具
 ・上着
 ・膝掛け

これは堂々と職場に置いていても怒られない(?)でしょう。
冬だけでなく、夏の冷房対策としても使えますしね。
余談ですが、昔いた職場で、冷え性の先輩がレッグウォーマーやボアのスリッパ、湯たんぽを持ち込んで越冬してはりました。そのうちこたつまで持ち込むのではないかと上司が戦々恐々で。東北の雪国でもなく、大阪なんですけどね。(笑)


■運動靴とインソール
デスクワークの方は職場にスリッパを置いている確率が高いと思いますが、普段、サンダルやヒールを履いて出勤している方は「運動靴」を置いておくと、いざという時に必ず助かりますよ。
そして、できればインソールも用意しておいてください。
もし非常時に帰宅するとなれば、交通手段もなく徒歩になるのは確実です。被災状況にもよりますが、道にはガラスの破片や尖った建材など危険なものがたくさん落ちているはずですから、底が厚く、動きやすい靴に限ります。
インソールは釘などの踏み抜き防止専用のものが売っていますので、ぜひ用意しておきましょう。
そして、その踏み抜き防止インソール、ものによってはサイズに合わせて切るのがすごくタイヘンです。時間がかかります。頑丈に出来ていますから当然なんですが。
ですので、切らずに使えればいいですが、サイズ調整が必要な方は、いざ!という時に袋から出してすぐ使えるものではないため、買った時にサイズを合わせておくことをおすすめします。
と、ご紹介しながら私もまだ職場用の一足ぶん、切ってないんですよね〜
早く用意しておかなくちゃと思いつつ、あの切りにくさを思うと、、、いやいや、備えが大事!今日にでも!




■モバイルバッテリー
これだけモバイルが便利で生活に欠かせないものになってしまうと、もはやライフラインですよね。連絡手段、情報収集、懐中電灯になったりと、実際に非常時に役立つのは何よりもモバイルだと思います。
モバイルの電源確保として、予備のバッテリーはぜひとも持っておきたいものです。


■ホイッスル
これは職場に備えておくというよりは、肌身離さず持っておかないと意味がないのではないかと個人的には思いますが。
なかなか他人の笛は使いにくいと思いますので、自分で気に入ったホイッスルを見つけて持っておくのは安心だと思います。
私はホイッスルのストラップをスマホカバーにつけてました。が、いつのまにか落としてしまったので、また買ってこようと思い……つつ、もう一年以上経ってるやないかーぃ!←いろいろダメな人。


■携帯防犯ブザー
これは、ぜひ女子なら持っておいて欲しい。
いやソコの人、もう若くない女子だから!なんて言わない。
残念ですが、犯罪に年齢は関係なく巻き込まれたりしますので。
あまり表には出てきませんが、女性にとっては本当に深刻な被害が、被災後には多発します。阪神淡路大震災の時がそうでした、東日本大地震の時もそうだったと聞きます。。社内待機の時でも、部外者が犯罪目的で建物に入ってくることを想定して行動してください。
ホイッスルでも代用できますが、いざ危ない目に遭った時に笛を吹くどころか叫ぶことだってできない場合が考えられます。
防犯ブザーなんて役に立つの?と思われるでしょうが、牽制にはなりますので、逃げるチャンスを作ってくれたり、援護が期待できます。
ぜひ1つ持っておくことをおすすめいたします。




■水筒
会社でペットボトルの水などを備えてくれていたらいいのですが、マイ水筒もあれば便利です。
とくに、あたたかい飲み物の提供が受けられた時に保温できる水筒があると、心身ともに助かります。


■薬(アレルギー薬など)
職場の置き薬だけでは、個人の症状に対応できない場合があります。
とくに持病やアレルギーをお持ちの方は、ぜひ普段から薬の備えがあると安心ですね。
また、女性特有のカユミやかぶれに特化した軟膏を持っておくといいと聞きました。確かにあまり清潔を保てないような状況では起こりうる症状ですよね。ストレスでホルモンバランスが大きく崩れることも原因になるかもしれません。
できるだけ想像力を働かせて、備えられるものは備えておきましょう。


以上、今回は女性の立場で職場に備えたい防災グッズをご紹介しました。
こんなのもあるといいよ〜!というご意見もお聞かせいただければ、また追記でご紹介したいと思います。
最近、あちこちで災害が多発する不穏な時代に入った気がいたします。
しっかり備えて、身を守りましょう。
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【防災】忘れてはいけないあの日のこと。

こんにちは。お久しぶりです。
シンシアリー「ダイエットがんばる部」の
臨時応援部隊のはらぺこです。

相次ぐ地震や大雨で、このところの日本は、災害が続いています。
23年前に阪神大震災を経験した私にとっては、
改めて防災に対する意識が高まりました。
時間が経つにつれて、あの恐怖や危機管理に対する気持ちが
薄れていったのは確かで、反省しっぱなしです。
が、あの時、体験したからこそ、活かされることも
今後あるかもしれません。
そこで今回は、自分のためにも、記憶を辿って
阪神大震災の時の当日の体験談をお話させて頂きます。

当時、マンションで両親と暮らしていた私は、
ひとり自室で寝ていました。
1995年(平成7年)1月17日5時46分。
大きな揺れと大きな音で目が覚めました。
ベッドの上で身動きが取れない状態でした。
その揺れに、身を守ること1つすら出来なかったのを覚えています。

長い揺れが終わった後、うっすら見える自分の部屋の中の
様子が激変していることが分かり、
倒れていた棚などを持ち上げ、移動させたりして、
自室から自力脱出しました。
その時は必死だったので、後から、
これこそ火事場の「バカヂカラ」だなと思いました。

また、ベッドの上に居た私、特に頭の上には、
何も倒れてこず、落ちてこなかったことが、奇跡的でした。
なので、就寝時のタンスの位置、上から物が落ちてくる
可能性などを考えておくべきだと改めて思いました。

176466.png

私が自力で脱出している間、
父は、マンションの他の部屋の方の安否確認や、
ドアが傾いてドアが開けられない…などのことで、
住民たちと救助作戦に行っていました。
大きな地震で、家の崩壊を免れても、ドアがゆがみ、
家から脱出できないということも考えられるのです。

後から気づくのですが、
割れたガラスが散乱している部屋を、
地震直後は、靴下1枚もしくは素足で家族は歩いていたのです。
その後、慌てて履ける靴を見つけ出し、
家の中で靴を履いて足元の安全を確保しました。

時間が経つにつれて、陽が昇り、
部屋の中がどうなっているのかが、どんどん分かってきたのと同時に、
マンション7階から見える外の景色が、いつもと全く違っているのが分かったきた時、
ただ事ではない…と実感していったのでした。
また、六甲山のあちこちで、崖崩れを起こしているのも見えました。
テレビは使えず、ラジオも手元になく、もちろんその当時は、スマホなどもなく…。
自分たちが置かれている状況は全く把握できていなかったのです。

543227.png

住んでいたマンショは、崩壊は免れたのが、不幸中の幸いでした。
部屋の中は、ただただ…全てが倒れ、ゴミと化した食器や物が散乱していました。
冷蔵庫の中にあったものも吹っ飛んで、食べ物や調味料も散乱。
飼っていた金魚2匹も、吹っ飛んだのでしょう。やっと見つけ出した時は既に遅し…でした。
(地震の前日、金魚2匹が水槽から飛び出すかの勢いでジャンプしたのは、何かを感じとっていたからでしょうか?)

また、地震の揺れが大きかったことを実感させたのが、
風呂釜にあったお水が揺れによって全く無くなっていたことです。
唯一お水があったのは、トイレタンクに少しだけ。
なので、お風呂の水が使える!と思ってはいけません。
もちろん上下水道は機能してませんから、トイレ問題も発生してきます。
下水道に流さない処理も被災してからの作業の1つに入ります。
また、その水とは別に飲み水は必須です。
当時、何も用意していなかった私たち家族は、いつ水分をとったのか覚えていません…。
冬だったのが唯一の救いです。

当時、パニック状態の私達家族は、この散乱したものをどうにかしなきゃ…と思う気持ちが大きく、
避難することが全く考えもつかず、時間が流れ、近所の人と色々話していると、
余震のことも考えると日が暮れるまでに避難すべきだ…となりました。
近くの某学校に着の身着のまま避難することにしました。
しかし、避難場所は被災者で飽和状態のため、
乗用車を某学校のグランドに移動させ、乗用車の中で過ごすことにしました。

502619.png

いつ襲ってくるか分からない余震への恐怖に怯えながらも、
あちこちでサイレンが鳴り響き、電気の無い暗闇の世界に、
西も東も火事で夜空が赤く染まった情景も、恐怖を拡大させていきました…。

そんな異常とも言える被災1日目の夜中の2時頃。
乗用車の窓をコンコンと叩く音が!
なんと、大阪府高槻市のピザ屋さんがボランティアで、
ご飯を色んな場所にバイクで配り回っているとのこと。
その時、私達家族は被災して初めての食事が出来たのです。
高槻市のどこのピザ屋さんだったのでしょう…聞くのを忘れて後悔しています。
高槻市といえば、18年6月に大阪北部地震で大きな被害を受けたところです。
今回、このピザ屋さんたちと逆の立場。すぐに被災者のために動かれた
行動力には感謝してもしきれません。

510262.png

そして、それから3ヵ月間だったでしょうか…学校の体育館での避難生活が続きました。
この避難生活にもいろいろあって、書き切れませんので本日はこれまで。
あの時の気持ちを忘れず、防災力というものを
身につけておきたいと実感する今日この頃です。
皆様も今一度、防災について考えてみてはいかがでしょうか?
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